和田アキ子。 和田アキ子の生い立ちが壮絶!父親の暴力と叔父の逮捕・韓国人から帰化した経緯まとめ|KININARU JORNAL

「嫌いな女性芸能人」1位! 和田アキ子はなぜ嫌われる?(ラリー遠田)

和田アキ子

『週刊女性』2020年5月12・19日合併号(主婦と生活社)で「嫌いな女性芸能人」のアンケート調査の結果が発表された。 10~70代の女性1433名が回答したこの調査で、ぶっちぎりで1位に輝いたのは和田アキ子だった。 古希を迎えた今も歌手・タレントとして活躍する彼女が、そのパワハラ的な言動で批判を浴びている。 世間が職場などでのパワハラに対して厳しくなってきたこともあり、和田がバラエティ番組の中で傍若無人な振る舞いをするのがやり玉に挙がる機会が年々増えてきている。 2016年には『NHK紅白歌合戦』の選考にも漏れて、連続出場記録がストップしてしまった。 好感度は下がりっぱなしで、歌手としての地位も危うくなり、和田は逆境に立たされている。 しかし、歌手としてもバラエティタレントとしても何十年もトップに君臨してきた彼女を甘く見てはいけない。 ここまで生き残ってきたのにはそれなりの理由があるのだ。 彼女の経歴をたどりながらそれを考察していくことにしよう。 和田アキ子は1950年に大阪府で生まれた。 父親は料亭を経営しながら柔道の指導をしていた昔気質の人物。 母親は乾物屋を営んでいた。 家庭では父が絶対的な権力者として君臨しており、子供たちは全員敬語で接していた。 和田は毎晩父の晩酌に付き合わされ、正座でずっとお酌をし続けなければならなかった。 理不尽に暴力をふるわれるのも日常茶飯事。 家族は全員、父に脅えながら暮らしていた。 家庭での抑圧が強かった和田は、その反動で非行に走った。 小さい頃から体が大きかったため、街を歩いていてもすれ違いざまに「うわっ、でかっ」などとからかいの対象となることが多かった。 それを聞くと思わず手が出てしまう。 ケンカ、酒、タバコに明け暮れ、「ミナミのアコ」として恐れられていた。 そんな和田の人生を決定づけた出来事があった。 それは、中学のときのこと。 初めての英語の授業でショックを受けた。 「『ハウアーユー』って何やねん?」 自分には全く理解できない新しい言語に触れて、新鮮な驚きを感じた。 負けん気が強かった和田はそこで「ナメられてはいけない」と思った。 さっそくレコード店に向かって適当に洋楽のレコードを買い、それを何度も聴いて英語の歌を覚えた。 そして、友達の前で披露するようになったのだ。 そのとき買ったレコードがレイ・チャールズの『愛さずにはいられない』。 のちに親交を深め、「レイちゃん」と呼んで慕うようになる世界的ソウルシンガーをこのとき初めて知った。 歌に目覚めた和田は、ジャズ喫茶やダンスホールに出入りするようになる。 そこで他人が歌っているのを聴いた和田は「私の方がうまいんちゃう?」と感じた。 すぐに舞台に上がり、自ら歌うようになった。 その様子を見ていたホリプロ社長の堀威夫が彼女をスカウトして、歌手としてデビューすることが決まった。 しかし、生活は苦しかった。 ほとんど休みもないのに給料は月3万円のみ。 寮の代わりに社長の自宅に居候していた。 社長に気を使っていた和田は、ご飯のおかわりを申し出ることもできず、いつも空腹に苦しんでいた。 近所の寿司屋で「ちらし寿司3人前を食べきったら無料」という企画をやっていたので、トイレで吐きながら無理矢理全部食べたこともあった。 1968年に出したデビュー曲『星空の孤独』は期待していたほど売れず、和田はますます苦悩を深めていた。 だが、2曲目にリリースした『どしゃぶりの雨の中で』がヒット。 その後、『笑って許して』『あの鐘を鳴らすのはあなた』などのヒット曲が次々に飛び出して、和田は一気にスターダムに躍り出た。 しかし、ぽっと出の新人歌手に対して芸能界の先輩たちは厳しかった。 当時の楽屋は、一部の大御所以外は男女別の大部屋が当たり前。 男性のように図体の大きい和田は先輩たちから「男がいるから着替えができないわ」と嫌みを言われたり、わざとお茶をこぼされたり、靴にマジックで「バカ」と書かれたり、といったイジメに遭った。 収録中にも、ある男性歌手に「お前がいると俺の背が低く見えるから、俺の横に並ぶな」と言われ、蹴飛ばされたりしたこともあった。 壮絶なイジメにも負けず、和田は歌手として確実にステップアップしていった。 そして1973年、彼女のキャリアを決定づける1つの番組が始まった。 一時代を築いた伝説的なバラエティ番組『金曜10時! うわさのチャンネル!! 』である。 ここで和田は、ゴッドファーザーをもじった「ゴッドねえちゃん」に扮して、子分役のタレントを鍛えるためにさまざまな企画を仕掛けていく役割だった。 ハリセン片手にせんだみつおら共演者を追いかけ回し、高圧的に振る舞うのだが、時に反撃されてひどい目に遭う、というアドリブ要素の多いコントだった。 この番組は、のちにバラエティでは当たり前になったドッキリ企画やリアクション芸の元祖とも言えるものだった。 リアクション芸には、リアクション芸人と権力者の存在が欠かせない。 萩本欽一、ビートたけし、ダウンタウンなどがのちに権力者側としてこの手の企画を多数手がけるようになったが、そのルーツはこの番組の和田アキ子にあると言っても過言ではない。 『うわさのチャンネル』は視聴率30%を超えるオバケ番組となったが、この番組で「和田アキ子=乱暴者」というイメージがすっかり定着してしまった。 さらに、和田と親しい芸人たちが彼女の恐ろしさについてあることないことしゃべりまくったために、噂に尾ひれが付いて広まっていき、和田はますます恐れられるようになった。 芸人たちが和田のことをさんざんネタにするのは、彼女が文字通り笑って許してくれる器の大きい人物だからだ。 父に厳しく育てられ、若い頃にイジメにも遭った和田は、後輩やスタッフにはとても優しい。 また、好奇心が旺盛で、何でも一度はやってみる、というのがモットー。 「ガングロ」がブームになったときには、わざわざ渋谷に出向いて生でヤマンバギャルを見たこともあった。 最近では『ポケモンGO』をやってみてハマったり、ツイッターにも手を出したりしている。 若者文化も頭ごなしに否定したりはしない懐の深さがある。 和田が大きいのはその図体だけではない。 人としての器が桁違いに大きい。 バラエティの世界で権力者のキャラクターを演じ続けてきた彼女が、本物の権力者として批判を浴びている現状は何とも皮肉である。

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和田アキ子(ワダアキコ)の情報まとめ

和田アキ子

(C)まいじつ 4月5日放送の『アッコにおまかせ!』(TBS系)にて、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった国民的コメディアン・志村けんさんの訃報が取り上げられた。 その中で和田アキ子が志村さんとの思い出を語る一幕があったのだが、彼女の礼儀に反する言動が視聴者から批判を呼ぶ事態に発展している。 この日は10代~50代の視聴者300人にアンケートを実施し、関心度の高いトピックを厳選して作成された「今週のニュースランキング」に沿って番組が進行。 そして志村さんの訃報が取り上げられると、和田はゆっくりと自身の胸の内を明かしていった。 「やっぱり、あの、志村くんのは……ちょっとツラいですね」と前置きをして、以前に正月の特番で共演した際のエピソードを語り始める。 しかし「私より志村は後輩なんで……芸能界的にね」と発言すると、それ以降〝くん〟や〝さん〟といった敬称を付けず、呼び捨てで志村さんの名前を呼ぶことに。 しかし芸歴を鼻に掛けた和田の言動を〝配慮に欠けた態度〟と捉えた視聴者も少なくなかったようだ。 ネット上には、 《後輩だからと前置きして呼び捨て、不快感しかないです》 《亡くなった人を「志村」と呼び捨てにするのは不愉快》 《志村さんを呼び捨てしていいのは、ドリフだけだ》 《呼び捨てで想いを寄せるとか、違和感あるよね》 《和田アキ子ってすぐ芸歴持ち出してくるのがウザイ》 などと批判の声が続出。 しかし和田は、志村がドリフの付き人時代からの知り合いでもある。 そのため、 《ドリフのボーヤ時代からの付き合いだから「あえてそのまま呼ばせてください」とちゃんと言っているじゃないか》 《2人の空気感とかなら呼び捨てでもいいよね》 《和田アキ子だからこそ、呼び捨てにできるんじゃないの?》 など、擁護する意見も見受けられた。 「和田は以前から歯に衣着せぬ物言いで、定期的にネットを炎上させています。 前は明石家さんまをはじめとした大御所芸能人を呼び捨てにしたことで話題になっていましたね。 今回の場合は昔気質のコメントが肌に合わない若い世代から反感を買っているのではないでしょうか」(芸能ライター) 意図せず火種を生んでしまった和田だが、芸歴至上主義を嫌悪する層を見捨てて、これからもブイブイとがんばってほしいものだ。

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和田アキ子の身長と足のサイズと年齢、顔が変わった?という噂を検証

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スポンサーリンク 和田アキ子の顔変わった現在!目が違う理由は眼瞼下垂とシェーグレン症候群? 和田アキ子の顔変わった理由はシェーグレン症候群? 和田アキ子さんは 2016年に「シェーグレン症候群」という病気を発表し、それが原因で顔が変わったと言われてます。 (画像引用元:,) 実際に画像を比べてみると目がかなり小さくなって、顔もむくんでいるように見えます。 顔のむくみはとくに輪郭あたりに出ており、やはり顔が変わったように見えます。 和田アキ子さんは2016年10月のラジオでシェーグレン症候群を告白し、「大丈夫。 寝込むほどの病気じゃないから」と言いましたが明らかに顔に出ていますね… 和田アキ子が患ったシェーグレン症候群とは? シェーグレン症候群とは、 目・口・鼻腔の乾燥、唾液腺の腫れと痛み、全身の疲労感という症状が出る難病です。 人によって上記の症状が起きてしまうとのことですが、和田アキ子さんの場合は涙や唾液が出にくいとのことで、常に水を手放すことができない生活を送っているそうです。 実際に和田アキ子さんは番組で、 「私は常に水がないと生きていけない」 と語っており、歌うのに水分が必要なのに、難病でさらに水が不足して大変そうですね… そして、目・口・鼻腔の乾燥のせいで顔がむくれたり、目が小さく見えてしまっているのでしょう。 和田アキ子の顔変わった理由は眼瞼下垂? 和田アキ子さんは2018年12月に眼瞼下垂の手術を受けており、またしても顔が変わったと言われています。 (画像引用元:,) 実際に眼瞼下垂手術後の画像と比べてみると、今度は目が奥にいっているようでまた変わったように見えます。 和田アキ子が患った眼瞼下垂とは 眼瞼下垂とは、まぶたが下垂し、目を開けようとしても瞳孔の一部が隠れてしまう病気です。 和田アキ子さんは2年前ほどから視野が狭くなったと思い眼科に行った所、まぶたが下がっていることが診断されました。 しかし、その時は手術をしなかったのですが、まぶたが垂れ下がって無理やり目を開いていると、頭痛だったり、目と頭にハリが出来て治らない悩みを抱えたそうです。 そのため、悩みを解消するために眼瞼下垂の手術を受けたのですが、術後の目がおかしいと指摘されてしまったのでした。 (画像引用元:) 確かに以前より目が奥に見え、以前よりしっかり目を見開くことが出来るので、多少印象は変わったように見えます。 長身から発せられるパワフルな歌声は評判を呼んでホリプロの社長にスカウトされ、1968年10月25日に「星空の孤独」でレコードデビューします。 1969年4月25日の2枚目のレコード「どしゃぶりの雨の中で」が17万枚のスマッシュヒットを記録して直ぐに人気歌手の仲間入りをします。 1970年には「女番長・野良猫ロック」で映画初主演を果たしたりと女優としても活動。 「笑って許して」でNHK「第21回NHK紅白歌合戦」に出場以降は、1978年連続出場して知名度を高めました。 1972年には「あの鐘を鳴らすのはあなた」で第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞もしています。 1973年にはテレビ「金曜10時! うわさのチャンネル!! 」に出演して「ゴッド姉ちゃん」の愛称で呼ばれ、デカくて・コワい・強いというイメージが全国的に広まってお茶の間の人気となります。 1985年にはTBS「アッコにおまかせ! 」の司会を担しており、その後もコンスタントに紅白に出場して人気者です。 特に1998年の紅白では抜群の声量を生かし、曲の途中ではハンドマイクを使わずに歌うパフォーマンスを見せて圧巻の歌唱力を見せつけます。 2012年には紅白歴代最多出場歌手となり、2015年まで30年連続で出場していました。 和田アキ子の顔変わった現在を画像比較!目が違う理由は眼瞼下垂とシェーグレン症候群? 和田アキ子さんの顔変わったと言われていますが、シェーグレン症候群と眼瞼下垂で2回ほど顔が変わっていたようです。 眼瞼下垂に関しては手術で治りましたが、シェーグレン症候群は完治していないので大変そうですね。 ただ和田アキ子さんはあくまでも歌手ですので、少しのくらい顔が変わったことなど気にせず、今後も元気に歌ってくれることを祈っています。 せばな~.

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